12桁の番号が、あなたの手元に届いたのは2016年です。
その46年前、同じ計画がありました。
1970年、日本の役所にあったコンピューターは154台。
その時代に、国民全員に番号をつける計画が動いていました。
計画には、別の名前がついていました。
「国民総背番号」は、政府がつけた名前ではありません。
この動画では、1970年の計画から2016年の施行までの46年間を辿ります。
― この動画で扱う流れ ―
■ 名前をつけたのは、反対した側だった
政府が使っていた名前は「事務処理用統一個人コード」です。
「総背番号」という言葉が国会の記録に現れるのは、1970年4月23日。
衆議院商工委員会で、中村重光議員が佐藤栄作総理に問いただした日でした。
翌年2月、行政管理庁は「私どもは背番号という名前で呼んでおりません」と答えています。
■ 伏せられていたのは、番号ではなくカードだった
1970年4月の統一個人コード連絡研究会議で、身分証明書にあたるIDカードが議題に上がっています。
カードを打ち出さないのは「戦略的な考え」によるものだと説明され、その扱いは「最高機密戦略」と記されていました。
計画は3つの段階に分けられ、最後の段階で初めてカードを出す構想でした。
1973年、大出俊議員がこの議事録を国会で読み上げ、行政管理庁は存在を認めて提出しています。
■ 計画を止めたのは、一度も走らなかった実験だった
1971年度のはじめ、人口20万人ほどの都市を5つ選んで試す案がありました。
その結果を待って閣議決定する段取りでしたが、予算措置はされていません。
1972年、濱野清吾長官は「国民的な合意を取りつけて後でなければ」と答弁します。
1973年、福田赳夫長官は「そう急ぐ問題じゃない」と述べました。
■ 番号がなかった46年の代償
役所ごとに番号は別々のまま残りました。
年金手帳の色は3度変わり、勤め先を変えるたびに番号が増えることがありました。
2006年6月時点で、どの基礎年金番号にも結びつかない記録が5095万件。
照合すべき台帳とマイクロフィルムは約9億 5000万件、手書きの払出簿が約2億 1000万件です。
■ 二度目は、2002年だった
住民基本台帳ネットワークが動きだしたのは2002年8月5日。
住民基本台帳カードの交付は2003年8月から。
2005年8月時点で約68万枚、人口比0.54パーセント。
2015年12月末で約717万枚、およそ5.6パーセントでした。
■ 2016年
番号の通知が始まったのは2015年10月5日。
世帯ごとにまとめられ、簡易書留で約6028万通が配られました。
12桁のうち11桁は住民票コードを変換したもので、下1桁は検査用数字です。
利用が認められたのは社会保障、税、災害対策の3分野でした。
― 関連する回 ―
1961年まで、日本に国民年金はなかった
1940年まで、給料から税金は引かれなかった
― 主な出典 ―
・国会会議録検索システム(国立国会図書館)
https://kokkai.ndl.go.jp/
・e-Gov 法令検索(デジタル庁)
https://laws.e-gov.go.jp/
・日本法令索引(国立国会図書館)
https://hourei.ndl.go.jp/
・総務省
https://www.soumu.go.jp/
・厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/
この動画は1970年の計画と、番号がなかった46年間の記録を扱っています。
2016年以降については、法令・公式統計・国会答弁の事実のみを取り上げています。
事実は一次資料で確認しています。
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