こんばんは。精神科医の芳賀高浩でございます。
今日はですね、皆さんと一緒に「少子化の問題」について、精神科医の目線も交えながら考えていこうと思います。よろしくお願いいたします。
少子化って、問題になってからもう長いですよね。高度経済成長期以降、じわじわ進んできて、気づけば「1組の夫婦が平均して何人の子どもを持つか」という数字(合計特殊出生率)が、ざっくり言うと1.5を切るような世界になってきています。つまり平均すると、2人の親に対して子どもは2人いない。子どもがいない世帯もあるし、3人いる世帯もあるけれど、全体としては1人台前半に集約されている。これ、冷静に考えると相当大変なことだと思いません?
この数字が1.3、1.2と下がっていくと、世代が一つ下るごとに人口が加速度的に減っていく。国としては、かなり切実な「生存の問題」になってくるわけです。
もちろん国も少子化対策は打っていて、子どもの医療費が実質0円だったり、自治体によっては給食費が無料になったり、公立高校の負担が軽くなったり、昔より「子育てにお金がかからない方向」に進んできているのは事実だと思います。私も子どもを3人育てていますから、これは肌感覚として分かります。
ただ、正直なところ、「異次元の少子化対策」と言われるほどのインパクトがあるかというと、私の実感としては、ちょっとずつ得することが積み重なっている、という印象に近いです。
ここからが本題なんですが、少子化の議論って、**“個人の問題”と“国の問題”**を分けて考えないと、話がぐちゃぐちゃになるんですよ。
まず前提として、少子化って日本だけの話じゃない。文明が発達した先進国では、どこも大なり小なり同じ問題を抱えています。そして、ここが厳しいところなんですが、歴史的に見て「先進国が、もともと住んでいる人たちだけで出生率を回復させる」ことに成功した例って、ほとんどないんですよね。結局、多くの国が移民を受け入れて人口構造を維持している。
要するに、文明が進むと、娯楽が増える。人生の選択肢が増える。そうなると「子育て」という営みの価値が下がったわけではなくても、相対的に“子育て以外の魅力”が増えすぎてしまう。これが、文明病の側面なんだと思います。
発展途上の環境だと、良くも悪くも「とりあえず結婚して、子どもができて、育てていく」という流れが社会の標準になりやすい。一方で文明が進むと、望まない妊娠のリスクや、生活コストや、将来設計や、感染症のリスクまで含めて、みんなが色々考えられるようになる。考えられるようになること自体は良いことなんだけど、結果として、出生率は落ちやすいんですよね。
ここで、私が一回、合同会社を作った経験の話をします。私は以前、アルバイトの収入が税金でかなり持っていかれるのが嫌で、業務委託で受ける形にしたくて法人を作ったことがあるんです。雇用じゃなくて、会社として契約を受ける形にすると、所得税・住民税の取り方と、法人税の取り方で見え方が変わる。もちろん制度の制約もあるし、税理士さんにお願いする費用もあるし、何でも得になるわけではないんですけど、仕組みとして「個人の財布」と「法人の財布」って別物なんですよね。
このときに学んだのが、**“法人は別人格だと思って管理しないといけない”**という感覚なんです。
この感覚が、少子化にもそのまま当てはまると思っています。
つまり、個人としてどう感じるかと、国としてどう設計するかは別物です。
個人の話から先に言います。個人は好きに生きていいんですよ。子どもを持つ・持たない、結婚する・しない、全部自由です。誰かが誰かに「産め」と強制する時代ではないし、強制しちゃいけない。ここは大前提です。
一方で、国の話になると、国は「存続」しないといけない。国を生命体みたいに捉えるなら、“生きるか死ぬか”が最重要課題になる。人口が減り続ければ、税収も、社会保障も、産業も、インフラも、全部が縮んでいく。国としては、まさに「死が見えてくる病気」なんですよ。だから国は、感情論ではなく、構造として、子育て世代を優遇せざるを得ないんです。
ここを誤解してほしくないんですが、私自身は「子どもを育てない人に価値がない」なんて全く思っていません。今この瞬間の人間の価値は、子どもがいる・いないで決まらない。これは本当にそう思っています。
ただ、国の存続という目的に限って言えば、子どもを育てる人に強いインセンティブを付けるのは、理屈として避けられない、という話です。
じゃあ、どのくらい優遇するのか。ここがポイントです。
今の先進国が苦戦している理由は、「ちょっと得」くらいの支援だと、出生率が戻らないからだと思うんですよ。娯楽が多すぎるから。スマホがあって、ネットがあって、家にいても面白い。外に出なくても無限に刺激がある。だから子育ての“相対的な魅力”が下がる。
この環境で子どもを増やすなら、子育てを「趣味・娯楽」のままにしてはいけない。子育てを“仕事”に近い位置づけにしないといけない、私はそう思います。
例えば極端な思考実験として、子どもを1人育てたら年間100万円、2人なら500万円、3人なら1000万円、みたいに「子育てが家計としてプラスになる」くらいの設計にしないと、構造は動かないんじゃないか。もちろんこれは分かりやすく言うための例で、現実の制度設計はもっと複雑になるでしょう。でも“方向性”としては、そういう強度が必要なんじゃないかということです。
そして、ここが現実の政治で難しいところなんですが、子育て世代を強く優遇すればするほど、「じゃあ子どもがいない人はどうなるんだ」「病気で産めない人はどうするんだ」という反発が必ず起きる。だから政治はオブラートに包んで、支援を小出しにする。けれど、小出しだと構造は変わらない。
このジレンマがあるわけです。
もう一つの選択肢が、移民です。
正直に言うと、私は昔は移民にかなり抵抗がありました。でも最近、家の近くで工事があって、いろんな作業員の方を見ていると、海外から働きに来ている方のほうが、挨拶も礼儀もきちんとしていて、仕事への気迫がある場面も多かった。もちろん個人差はあります。日本人が悪いとか、外国の人が良いとか、単純な話ではない。
ただ、「働く意欲が強い人が来る」こと自体は、国にとってプラスになる面も確かにあると思うんです。
だから私は、現実的にはこの二択だと思っています。
① 子育て世代を本気で優遇して出生率を上げにいく
② それができないなら、移民を受け入れて人口構造を支える
どちらも簡単ではない。でも、何もしないという選択肢は、じわじわ国が縮んでいく方向にしか進まない。
最後にもう一度言います。個人の価値の話じゃないんです。誰が偉い、誰が偉くない、そういう話ではない。国という“別人格”を生かすための設計の話です。ここを分けて考えないと、議論は感情論だけで終わってしまう。私はそう思います。
……ということで、今日は精神科医の目線も交えつつ、少子化について、国と個人を分けて考える必要がある、という話をさせていただきました。
普段、精神科の話をしているチャンネルで、少子化というテーマがどこまで関係あるのか、と思われる方もいるかもしれません。でも日本で生まれ育って、日本で暮らして、ここで人生を終えるつもりの人間として、日本の構造の話も考えてしまうんですよね。
それから最後に、ちょっとだけ裏話です。サムネイルにも出している私の本、いわゆる「希死念慮ちゃん」の本なんですけれども、発売から半年近く経ってもなお手に取っていただけているのは、本当にありがたいことだと思っています。出版の世界って、今は本がたくさん出て、埋もれていくのも早い。そんな中で残っているというのは、読者の方が必要としてくれたからだと思っています。
印税の話も少しだけすると、「何冊売れたらこのくらい入るはず」という単純計算どおりにはいかないところがあって、ここもまた面白い世界だなと思ったりします。
私はこれからも、毎日19時に動画を出していきます。外来と訪問診療をしながらなので、綺麗ごとや忖度抜きで、なるべく正直に話します。
「こういうテーマで話してほしい」というものがあれば、ぜひコメントで教えてください。
それでは、精神科医の芳賀高浩でした。
明日もまたお会いしましょう。さよなら。


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